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「秋吉台の夏2004」〜二人の前衛・湯浅譲二と松平頼暁


武生に行けなかったし、この夏休みは切羽詰まった締め切りも特にない。そう思い立って、2004年の夏休みは久しぶりに秋吉台に行くことにした。

1998年に「秋吉台国際現代音楽セミナー&フェスティバル」が終了した後、このセミナーを最初に主催していた山口県とその近辺に在住する作曲家たち (秋吉台現代音楽研究会)が2001年により小規模な形で現代音楽のセミナーを再開した。それがこの「秋吉台の夏」で、会場は98年の「秋吉台国際現代音 楽セミナー&フェスティバル」と同じく秋吉台国際芸術村。毎年、湯浅譲二(作曲)、Mario Caroli(フルート)、山根孝司(クラリネット)を講師として迎 えたセミナ−と幾つかのコンサートを行っている。2004年は作曲の講師として松平頼暁、金管楽器の講師として橋本晋哉(チューバ)を迎えて、8月17〜 22日 に行われた。
「秋吉台国際現代音楽セミナー&フェスティバル」(以下、第一次秋吉台)と「秋吉台の夏」とを較べると色々な違いがある。まず第一にフェスティバル性より も講習会とし ての性格をより強く持っていること。第一次秋吉台では、毎年多くの作曲家、演奏家、アンサンブルを海外から招き、毎日多数のレクチャー、リスニング セッション、ワークショップやコンサートが詰め込まれていた。また、作曲だけで50人ほどの受講生を擁しており、グループレッスンは他のレクチャーなど と平行して行われていた。一方この「秋吉台の夏」は、招待講師はごく少数に押さえられ、コンサートもオープニングとクロージングの2日間のみで、第一次秋 吉台のような、海外から最新の現代音楽を持ってきて聴かせる、というような華やかさはないが、教育プログラムに目的を絞って充実させている。作曲に関して は大まかに午前、 午後、夕方の3セッションに限定され、セッション間の休憩時間も多く取られていて、余裕のあるプログラムが組まれている。また、受講生も第一次秋吉台の数 分の一 と少な い。内容は、招待講師のレクチャーが3から4回、演奏の講師によるワークショップが3回程度、それ以外のセッションは受講生全員が参加してのグループレッ スンとフリーディスカッション、さらに作品の一部を演奏講師に試演してもらう「チャレンジ・タイム」に当てられている。第一次秋吉台でも一応招待講師の レッスン はあったが、持ち時間は非常に限られていて、一回聴いてもらって一言コメントをもらって終わり、ということが多かった。一方、「秋吉台の夏」ではグループ レッスンでの各受講生の持ち時間は45分で、まず作品の音源を聴いた後、講師による質疑やコメントに続いて参加者全員による質疑や討論が続く。
「秋吉台の夏」が第一次秋吉台と異なる第二の点は、演奏のコースが正式なプログラムに組まれていることである。僕は作曲の方に出ていたので、演奏のコース のカリキュラムの詳細はわからないが、各楽器3、4人程度の受講生で個人レッスンを中心に行われていたようだ。また、演奏コースのレッスンには作曲の受講 生の見学も許可されていた。最終日のクロージングコンサートでは受講生による演奏会もあり、セミナーでの成果を披露する機会が与えられているのも非常に特 徴的である。
そんなわけで久しぶりの秋吉台は以前とは随分趣が違って、いろいろと面白かったが、ここでは特に、作曲の招待講師であった二人の前衛、湯浅譲二 と松平頼暁のレクチャーとコンサートについてメモしておこう。湯浅と松平のレクチャーは、戦後の現代音楽史を回顧する性格もあり、この録音を書き起こせ ば、戦後音楽史に関する非常に重要な資料となることだろう。主催者には是非検討して頂きたいところだ。


さて、今年の「秋吉台の夏」での湯浅譲二のレクチャーは「テクノロジーと音楽」というテーマで、彼が1950年代に手がけた初期の ミュージックコンクレート (音源は失われている)から、最近のコンピュータによる作品にいたる一連の作品群の殆どについて、様々な裏話、思い出話や脱線を交えつつ一作ずつ解説する という内容。当初2時間の枠を3回の予定だったが、さらに2時間追加して行われた。湯浅の作曲歴は、戦後のテープ音楽からコンピュータ音楽に至る時期と そっくり重なりあう。初期のテープ音楽の様々な技法や裏技についての解説は、その時代を経験した人にしか語れないリアリティのある興味深いものだったし、 新 たなテクノロジーがもたらした新たな音響の可能性が、湯浅の音楽やその思想の根幹に深く影響を与えていることを実感させるものだった。
湯浅が、その時期に新たに発明されたテクノロジーを使って作品を作る時の喜びについて生き生きと楽 しそうに語る様子は、とても印象的だった。新しい録音技術や音響の加工方法の可能性を探索し、時には裏技も使って(例えば「イコン」ではホワイトノイズに 変調をかけるために、スピーカーで再生しながらマイクを振り回して録音したり。こういう裏技は正式なドキュメントにはなかなか残りにくい)新たな響きを 探ってきた湯浅のレクチャーには、どこか冒険談のようなワクワクした雰囲気があった。また、特に UPICシステムによる作曲について語る時の湯浅は本当に楽しそうだった。グラフによる作曲を長年用いてきた湯浅にとってUPICは、自分のアイディアを 非常にストレートに実現することのできるツールであるのだろうし、UPICによる「始源への眼差 I」における音の自在さには深い感銘を受けた。ただ、受講生の中には、技術的な解説を理解するのに必要な(初歩的な)音響学についてあまり知識を持たない 人も多いようで、湯浅の解説が充分できない人もいたのではないかと思われるのは残念だった。
あらためて湯浅のテープ音楽を年代順に聴いてみると、彼のテープ音楽のスタイルが、他の器楽などのための作品の変遷とパラレルであることがわかる。例え ば、1969年に大阪万博のために制作された「スペースプロジェクションのための音楽」は、聴き手を圧倒するような大量の音響の渦が大きな特徴となってい るが、こうしたマッシヴな音響による表現は、丁度オーケストラのための「クロノプラスティック第1番」(1972)と共通するものがある。一方、1975 年に制作された「マイブルースカイ第1番」では素材がクリック音に限定されており、音響は「スペースプロジェクションのための音楽」や「イコン」などより もはるかにシンプルなものになっている。こうしたシンプルさは、ちょうど1975年から1976年にかけて作曲された「オーケストラの時の時」がもつ、よ り透明で整理された音響と通じるものがある。1970年代の前半のある時期に、湯浅の作曲上のパラダイム転換のようなものがあったのではないかと思われ る。クラスターなどのマッスな音響によってではなく、充分選択され確定された音によってより多くの情報量を持つような響きへの転換、とでも言えば良いだろ うか。勿論これは湯浅自身が明言しているわけではなくて、僕の推測であるのだが。

松平頼暁のレクチャーは「システマティックな作曲技法に至った自作技法の流れを追う 」と題し、彼自身が一貫して主知的な技法によって作曲することになるきっかけとなった太平洋戦争中の経験から、初期のトータルセリーによる 作品、60年代 の様々な実験的な作品群、70年代半ばから始まるモーダルな作曲技法や近年のピッチ-インターヴァル技法までを概説した。僕自身は何度か本人から聴いたこ とのある話もあったし、かつて「音楽芸術」誌上で松平自身が断片的に書いていたものもあったが、これだけの内 容をまとめて聴くことができたのはなかなか面白い経験だった。特に、後述するが様々な作風の変遷の背後に徹底して流れる松平の姿勢に改めて深い感銘を受け た。意外なことに、若い受講生の中には、松平の作品を殆ど知らない人が多いらしかったが、 それだけに刺激的な出会いであったことと思う。ただ、2時間のセッション一こましか用意されていなかったため、レクチャーで解説された作品を実際にかける 時間がほとんど割愛されてしまったの が残念であった。

湯浅と松平は、戦後日本の現代音楽の中では明確に「前衛」であることをポリシーとして打ち出してきた代表的な作曲家であったが、あらためて二人の講演を聴 いて、多くの共通点を持ちながらも非常に対照的な作曲家であることがよくわかった。例えば、湯浅は、音それ自体がもたらすある種身体的な体験といったもの にしばしば言及する。「スペースプロジェクションのための音楽」は聴き手を全方位(水平面だけでなく垂直面でも)スピーカーで取り囲んだ空間の ための作品だが、この空間で、同じ高周波のホワイトノイズを呈示するのでも、上から聴かせるのと下から聴かせるのとで、全く違う印象が与えられる。 また、すべての音響の音源を同時に上下に回転するように移動することで、聴き手の平衡感覚にも作用して、じっとしているのにまるで体が傾くかのように感じ させる、 といった試みは、最近流行の(というかもう一段落した感があるけれど)ヴァーチャルリアリティの研究を思い起こさせる。湯浅のレクチャーを聴きながら、彼 の音楽は理論的な思考に支えられていながらも、根源的には非常に身体的な音楽なのだということ に、あらためて気づかされる。
一方、松平のレクチャーではそうした身体的・主観的体験について言及されることは殆どない。彼は自分が興味を覚えた現象を 注意深く、客観的に分析し、そこにどのような構造が隠れているのか、探り出そうとする。例えば、弦楽四重奏とリング変調器のための 「Distribution」(1966)のヒントになったという弦楽器のチューニングについて、単にそれが音響的に面白い、というだけ終わることはな く、弦楽器 のチューニングにどのような音響イヴェントが含まれるのか(グリッサンド、5度の和音、休止など)分析し、分類し、それを再構成してゆく。また、1970 年代後半の彼の作品の 特徴である モーダルな作曲技法のそもそものきっかけは総音程セリーを用いた「Coherency」であり、1990年代以降の彼の主要な作曲技法であるピッチイン ターヴァル技法も、音高や音程の網羅的な組み合わせの探求という点でモーダルな作曲技法と共通した理論的背景を持つ。このように、一見無節操にすら思える 作風の 変化の背後に、音響を支えるシステム、特にトータル・セリーに起源を持つ、音程や音高と言った有限な要素の組み合わせの数理的な秩序に対する強い関心が一 貫 して存在している。このことは、松平が作曲家であると同時に遺伝学者でもあったことを思い起こさせる(ちなみに、松平は休憩時間中に次々と虫をつかまえて 「こういう種類の虫は珍しいんですよ」などと教えてくれた)。生物の諸々の形質は、遺伝 子の様々な組み合わせによって生み出される。表面的な見かけの背後にあってそれを支配するシステムに対する関心は、松平にとっての作曲が、科学者としての 彼の関心と切り分けることができないことを示しているように思う。ただし、こうしたシステマティックな作曲技法だけに松平の音楽のすべてを帰属してしまう と、彼の音楽の魅力を完全に捉えたことにならないのではないだろうか。松平の作曲技法では、どのような素材を選択するかは(もちろん合理的というか合目的 的な理由はあるにせよ)ロジックだけでは決定されず、かなりの自由度がある(と思う)。そこにどのような素材を持ってくるのか、どのような響きを選択する のか、といったシステム化以前の音響に対するセンスが、彼の音楽の(少なくとも音響面での)面白さを決定している。


前述の通り「秋吉台の夏」では、オープニングとクロージングの二回、演奏講師を中心としたコンサートが組まれていて、非常に充実した内容だった。楽器編成 が招待講師 の楽器に基本的に限定されてしまうので、コンサートで取り上げられた湯浅と松平の作品も、必ずしも二人の活動全体を包括するような選択はできなかった(例 えば、松平作品は最近のピッチインターヴァル技法による作品は取り上げられていなかった)が、演奏はどれも充実していた。湯浅と松平の作品について特に印 象的だった演奏についてメ モしておこう。
Mario Caroliはオープニングコンサートで松平の「ガゼローニのための韻」湯浅の「相即相入I」を演奏した。「ガゼローニのための韻」はすでに多くのCD も出されている松平の代表作の一つ。(ちなみに、CDの中にはかなり不正確な理解に基づくものもある。例えば、Eberhard Blumによる録音では、フルートの他ノイズとして用いられる楽器の選択に誤解があるようで、鳴子が指定されているのにラチェットか何かで演奏されてい る)。また、目覚まし時計のベルも、演奏中の操作が難しいらしくて、鳴り損ねているケースが多い。Caroliの演奏でも、目覚まし時計はうまく鳴らな かったが、それを補って余りある素晴らしいものだった。
Caroliの演奏は透明な音色と張りつめた高い緊張感がその美質といえる。透明な音色から受けるある種の叙情性は、例えばRoberto Fabbricianiの朗らかさや柔らかさとはまた異なる硬質さを備えているし、またPierre-Yve Artaudの演奏にある緊張感が主にノイズ的な音色によってもたらされているのとも異なっている。こうしたCaroliの美質は、鈴木俊哉のリコーダー との共演である湯浅の「相即相入I」でも生きていた。「相即相入I」は元来2本のフルートのための作品であり、二つの楽章から成る。鈴木とCaroliの 演奏で特に印象的だったのは、持続音を主体とした第2楽章だった。動きのある華やかな第1楽章と較べて、スタティックな第2楽章はどこか影が薄い、という のが今までの印象だったのだが、リコーダーとフルートという似ているが微妙に違う持続音の音色が、独自性を保ちながらも混じり合い、微妙な緊張感の中でバ ランスをとり、時にききわけることができなくなる。これはまさに「相即相入」という概念そのもののであるように思った。
クロージングの第1部は、湯浅と松平の二人展として、松平の「シミュレーション」 「ブリリアンシー」「連星」、湯浅の新作「テナーリコーダーのためのプロ ジェクション」、テープ作品「マイ・ブルー・スカイNo.1」が演奏された。
橋本晋哉による「シミュレーション」は、以前アサヒビールのロビーコンサートでも聴いた(というか見た、というか)が、そのときはステージが遠すぎて、ま た客席から結構高かったこともあって、アクションがよく見えなかった。秋吉台で間近に見て聴くと、ハチャメチャなアクションの連続に見えても、それらが非 常に巧妙に配置されていることがよくわかったし、むしろ作品全体は非常に均整の取れたフォル ムをもつことに気づかされる。普段からシアトリカルな作品の演奏を多く手がける橋本のパフォーマンスを見ながら(聴きながら)、この曲は橋本の登場を待っ ていたかの ようにも感じた。
フルートとピアノのための「ブリリアンシー」では、フルートは4分音低く調律される。調律をずらした楽器の演奏では、しばしば曲が終わる頃にはピッチが元 に戻っていることが多い。ことに「ブリリアンシー」のようにモーダルな響きの作品ではそうなる危険は特に大きいだろうが、Caroliの演奏は最後まで完 全に調律をキープした見事なものだった。ずれた調律によるモーダルながら粗さのある響きがあるのとないのとで、この曲の印象は全く違うものになるだろう。 その意味で、初めてこの作品を聴いた、という感じだった。
ピアノ連弾による「連星」は、モーダルな時期の終わりに近いころの作品。中山敬子と藤田朗子によるほのぼの感ある演奏は楽しかったけれど、松平のピアノ曲 を取り上げるのなら、別の選択肢もあっただろう。松平は現代ではおそらくもっとも多くのピアノ曲を書いている作曲家だと思われるし、ある意味彼の美質が最 も明晰な形で現れているのはピアノ曲だろうと思う。折角優れたピアニストが二人も来ているのだから、ピアノ独奏曲を是非プログラムして欲しかった。
湯浅の新作「テナーリコーダーのためのプロジェクション」は、秋吉台の後9月に現音でも演奏されたが、そのときのインタビューで湯浅は「無心の境地で書い た」と語っていた(と記憶している)。その言葉通り、非常に柔軟な持続感を持つ作品。湯浅の最近の作品は以前と比べて、明確なクライマックスを思考するよ うな強い方向性を持たず、「音響エネルギー」の造形はますます柔軟になってきていると思う。逆に言えば、全体的なフォルムは単純明快ではなく、なかなか聴 き手 に尻尾をつかませないような難解さも感じなくはない。そういう難解な「謎」を突きつけてゆくのも、前衛の大切な仕事だ。
会場の秋吉台芸術村のホールは、天井が高く、残響の多い音響特性をもつ。電子音楽を聴く上ではこうした空間はあまり好まれないことも多いが、湯浅のテープ 音楽を聴く上では全くそんな感じはしない。一階席で聴いていたが、天井近くにセットされたスピーカーから、まるで天から音が降ってくるようだ。「マイ・ブ ルースカイNo.1」は最近CDもリリースされて、自宅でも気軽に聴けるようになったが、やはりこういう空間で聴くとまた違った味わいがある。この曲の最 後はクリック音が様々な角度から不規則に鳴らされる部分が延々と続く。湯浅の意図では、聴き手が好きなところでフェイドアウトして良いので、この日のよう に最後まで完全にかけると長すぎるのではないかと心配しているようだったが、僕としてはそんなことはなく、ほの暗い天井からきこえてくるクリック音をしみ じみと味わったのだった。
なお、松平のテープ作品はコンサートでは取り上げられていなかった。「アッセンブリッジズ」は残響の多いこのホールでは余り適さないかもしれないが、たと えば「トランジェント'64」などをかければ、湯浅との音楽性の対比がますますくっきりしたことだろう。



(更新2005/2/8)


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