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アール・レスピラン第19回定期演奏会の感想

アール・レスピラン第19回定期演奏会(紀尾井ホール、2004年10月15日)に行く。
高校生の時、作曲をしている数少ない友達だったN君に誘われて、アール・レスピランの旗揚げ公演に行き(あれから20年近いのか、と妙に感慨にふける今日 この頃)、数年前に自分の作品を演奏していただく幸運に恵まれた(横浜でのISCM2001)こともあって、個人的には勝手に親近感を持っている。

この日の演奏会は「室内オーケストラの系譜II」というサブタイトルが付いていて、プログラムはフランス・バロック期のルベル「四大元素」ヴァレーズの「オクタンドル」池田哲美の新作「そして...森は白い闇へ」、休憩後、伊藤弘之の新作「揺れる森の夢」(いずみホール・紀尾井ホール共同委嘱作)、最 後にハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」。指揮は高関健。「室内 オーケストラの系譜」というタイトルや選曲の意図についてはプログラムやチラシには詳しい説明がないが、ロマン派をそっくり飛ばして、古典派以前と現代作 品を組み合わせるプログラムは面白い。「室内オーケストラの系譜」とはいえ、ハイドンの晩年の交響曲は当時としてはたぶんスタンダードなオケに近い編成の はずだから、ハイドンの後、オケが肥大化してしまって、今あらためて室内オーケストラという別のカテゴリーとして戻ってきた、という感じだろうか。
以下、順不同で感想をば。

伊藤弘之はサントリー音楽財団委嘱作品の「ミラーII」以降、比較的大編成の作品を幾つか手がけているが、残念ながらそれらを聴く機会を逸してきた。そう いうわけで以下の「揺れる森の夢」の感想は、「ミラーII」以前の作品との比較に偏っていることをあらかじめ書いておく。
伊藤はオランダのNieuw Ensembleのための作品「ミラーI」で、室内オーケストラ以上の編成の作品における彼の様式を確立し、以降の作品はいずれもその様式をベースに書か れているという印象がある。例えば、曲頭近く、漂うような和音を背景にオーボエがトレモロを含む旋律を浮かび上がらせる部分は「ミラー」のシリーズと共通 している。また音楽的なエネルギーが高まる箇所で、多くの楽器を重ねて音を分厚くするのではなく、逆に数少ない楽器に絞る(「ミラーI」では2本のヴァイ オリン、「ミラーII」ではピアノ)といった方法も、新作で取り入れられている(ここではピアノ・ソロ)。さまようような響きがふと途絶えるような終わり 方も、「ミラー」のシリーズと共通している。ただ、曲全体のフォルムについては、今回の「揺れる森の夢」では、ピアノの激しいソロのあと、直ちに頂点を築 くのではなく、そこである程度形成されたエネルギーをオケ全体で引き継いで展開する、といった形になっており、以前よりも入念なつくりになってきている、 と言えるだろう。意外だったのは、曲の中盤、オケ全体が等拍で動き出す箇所で、以前の伊藤の繊細なリズムのコントロールと比較すると、非常に大胆とも言え るし、やや粗っぽいという感じもする。また、以前は徹底的に用いられていた微分音は、この作品では一切使われていない。微分音と精密なリズム(テンポ感) のコントロールによって作り出される緻密なテクスチャーは伊藤作品の非常に大きな魅力であったのだが、こうした特徴は今回の作品ではあえて避けられている ようだ。特定の素材がトレードマークのようになってしまうことの危険性は、同じ作曲家として共感できる。ただ、ついつい期待してしまう微分音がきこえてこ ないことは寂しくもある。伊藤のモノクロームな音世界はこの作品でも充分実現されていたとは思う(それは彼好みの渋い音色によるものだろう)けれど、微分 音がないことで響きの手触りは目が粗くなったような印象も否めない。演奏上の現実的な制約のためにせっかくの美質が失われるのだとすれば、とても残念なこ とだ。もっとも、微分音の回避は別の狙いがあるのかもしれないし、伊藤自身の関心も変化しつつあるのかもしれない。この日のアール・レスピランの演奏は、 非常にくっきり整理されたものだったが、ちょっと堅い感じもした。伊藤の作品にはもう少し(音楽的な)柔軟さも必要なのではないかしら?

池田哲美の新作は、オーボエ、ファゴットを独奏する一種の二重協奏曲(オケは弦合奏、ピアノ、ハープ、打楽器)。池田の作品は実はほとんど聴いたことがな かった(随分前にも何か聴いたような気がするのだけど記憶がハッキリしない。スミマセン)。もし他にもいろいろと聞いていれば印象は変わるかもしれない。 この日の新作は、甘美な和声、細やかな弦のディヴィジと、何気なくオクターヴで歌われる旋律、ふと浮かび上がる高音域のフラジオレットなど、否応なしに晩 年の武満を連想してしまう。もっとも、武満よりは息は長く、音楽的な持続感は豊かだったと思うが。独奏をつとめる二つの楽器では、どうしてもオーボエが目 立ってしまって、ファゴットが沈んでしまう。独奏、といっても技巧的なパッセージはほとんどなく、ゆったりした叙情的な旋律が連綿と歌われてゆく。途中、 オーボエのトリルが連続する箇所も出てくるが、曲全体は大きな高まりを見せることなく、穏やかに収束する。プログラムノートによれば、音を構築的に扱うよ りも「余白の呼吸に秘められた予感や、予想も無しに突然と飛翔し展ける音の表すものを、多義性を失わずに流れを掬い取る」ことに関心があったという。音を 構築的に扱わない、という意図は作品を聴いて理解できたし、共感するところもあるのだけれど、だとすれば予測を裏切るような逸脱があっても良かったのでは ないだろうか。

ルベルの「四大元素」は、噂には聞いていたが、この日初めて聴く。編成は、確か2ヴァイオリン、2ヴィオラ、コンティヌオ(チェロ、コントラバス、ファ ゴット、チェンバロ)、2フルート、2ホルンで、客席から見たところだと、ヴァイオリンはバロックボウを使っているようだったし、ヴィブラートを控えて古 楽的な演奏法を取り入れた演奏。この作品だけ指揮者無しで演奏された。10の小品からなるが、一曲目「カオス」には驚かされる。大胆にぶつけられる不協和 音といかにもバロック的な調性的な部分とが交替しながら進む、という発想は非常に現代的。今でもこういう曲を書いている作曲家は結構いる。この曲は、この 時代では例外的なのだろうが、フランス・バロック音楽はほとんど聴いたことがなかったので、ちょっと勉強してみようか、という気になった。

ヴァレーズ「オクタンドル」の演奏は、よく整理されたものだったけれど、むき出しの素材がもつ荒々しさがもっとある方が、個人的には好きかな。ちょっと上 品なヴァレーズでした。

コンサートの最後を飾るハイドン「太鼓連打」では、音程の乱れがやや気になった。プログラムのメンバー表ではレギュラーメンバーとエキストラの区別は書い ていないが、たぶんエキストラが多いのだろう。曲の後半での高揚は良かったが、全体に求心力と、ハイドンならではの軽さとユーモアがもうちょっと欲しいと ころ。

アール・レスピランというと、現代音楽の演奏団体というイメージが強かったが、この日のプログラムから伺える、現代曲と古典と両方をレパートリーとして取 り込んでゆこうという方向(余技としてではなく、演奏法までちゃんと取り入れた本格的なやり方で)は、他の現代音楽を多く手がける演奏団体の中では結構ユ ニークなのかもしれない。中心的なメンバーは、すでに中堅どころの演奏家たちなので、スケジュールを都合するのは難しいのかもしれないけれど、この日の公 演くらいの編成である程度メンバーを固定して、古典と現代物を両方うまく組み合わせた定期演奏会をもっと頻繁に開くことができれば面白いし、時折見られた 演奏の乱れも改善されてゆくだろう、と思う。

(更新2004/10/31)


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