田中吉史のページ/○○論、のようなもの?


オーケストラ・プロジェクト2003

と、オーケストラについてのちょっとしたメモ


僕自身は室内オーケストラ曲や吹奏楽は書いた経験があるが、フル編成のオーケストラ曲を書いたことはない。前から興味はあるのだが、なかなか本格的に取り組む気がおきないのは、大まかにいうと次の二つの問題点を感じているからだ。
そもそも、各パート比較的少数の管楽器群と、大人数の弦楽器群、というオーケストラの編成そのものが、ここ2-300年の西洋音楽の構造に依存している。基本的な持続を弦楽器群が担い、管・打楽器群はそれを音色的・音量的に補強する、という役割分担は、つい100年ほど前のマーラーあたりまで、かなり強固に保持されてきた。20世紀後半になってから、こうしたオーケストラの構造を改編する様々な試みがなされて来はしたものの、それが根本的に新しいものを生み出すことにつながるのか、自分には良くわからない。
もう一つ、ちょっと俗な話になるが、経済的な面からいうと、オーケストラというのはとても人件費のかかるメディアである。この話の真偽はわからないのだけれど、東京のプロオケの定期公演では、たとえチケットが完売しても、何らかの助成がなければ100万円は赤字になる、という話をきいたことがあった。金持ちの貴族が安いギャラで沢山の音楽家達を働かせる、というある意味「前近代的な」社会構造もまた、オーケストラというものの歴史的背景に存在するのだと思う。つまり、オーケストラは100年くらい前までのヨーロッパの状況(音楽様式上および社会的な)に帰因する制約が非常に強いのである。

それでもオーケストラがいまだに多くの作曲家の関心を引き付ける一つの理由は、あれだけ多量の情報を自分の腕一つでコントロールする、という書き手としての能力をフルに発揮する絶好のチャンスだからではないだろうか。オーケストラ曲を書く時には、他の編成と比べてはるかに多くの楽器をさばかなければいけないし、楽器が多い分、組み合わせの可能性も非常に大きくなる。そのため個々の楽器に関する知識の他、それらを組み合わせた時の音色や音量のバランス、また音楽的な流れを作る上でのそれらの配置についての技や勘が要求される。そんなに沢山の情報を手際よくまとめ、配置し、操作してそれを大きな譜面にこまごまと書き記してゆくのは、「書き手」としてのナルシシズムを充分に満たしてくれるものだろう(もっとも、そんなナルシシズムが今さら何になるのか、という意見もあるだろう)。
多くの作曲家がこの前世紀的なメディアにいまだにひきつけられるもう一つの理由は、(特に日本では)オーケストラ曲を発表した時の注目のされ方が、室内楽等よりもはるかに大きい、ということがあるだろう。特に大きな会場でより多くの聴衆が集まるから、とか、大きな資本が動くから、ということのほかに、先ほど述べたようにオーケストラ曲を書くにはより多くの知識と技術が要求されるために、オーケストラ曲を書けてようやく一人前と見なされるような傾向があるように思う(音楽大学でも、たしかオーケストラ曲は高学年になってから、必修で書くことが多いのはこうした理由からだろう)。さらに、オーケストラ曲で何らかの賞を得ることは、作曲家としてのエスタブリッシュメントの証のように思われている風潮もあって、僕自身は何となく反発を感じてしまう。

などとひねたことを言いつつも、やはりオーケストラ曲は書いてみたいという気持ちはあって(僕自身のオーケストラに対する個人的な興味には、上述した理由が全然ないとは言えないが、それ以外にもいろいろあり、その一部については後述)、オーケストラ曲を聴く時には普段以上に集中して(勉強だと思って)聴くことが多い。しかし、あえてハッキリ言うと、現代のオーケストラ曲を聴いた後「やっぱりオケを書くのは止めようかな」と失望させられることは多い。オーケストラ曲を書いた、ということで自己充足しているような印象がある曲は(例えば室内楽などと比べても)多いような気がする。自分の手でありがちな曲を「再現する」ことにご執心な様子の作曲家を見ると、オーケストラに対してまで嫌気がさしてしまう。みんなでありがちなスタイルの曲を書けば、それだけテクニックが上手いか下手かがハッキリ別れる。なんだかそうやって優劣を競うような曲が多いように思うのは気のせいだろうか?(もっとも、オケか否かを問わず、そういう曲が多いのが本当のところなのだろうが。)

とはいうものの、(不遜な言い方かもしれないが)「オケを書くのも悪くなさそうだ」という感想を持って帰るコンサートもたまにはあって、「オーケストラ・プロジェクト2003」(10月23日@東京芸術劇場)もその一つだった。そもそもオーケストラ曲を演奏すること自体に大変な負担(経済的にも労力的にも)があるわけで、それを顧みずに作曲家主催で毎年こうした催しが行なわれること自体、前述したオーケストラに対する大きな幻想を物語るのかもしれないし、逆に多くの困難を顧みずに自作を世に問う崇高な行為であるともいえる。なので、この手のコンサートには(自分自身の美学にあう作品かどうかを抜きにして)敬意を払うようにしている。
それはともかく、この日演奏された4つの作品のなかから、特に印象に残った二つの作品についてコメントを書いておきたい。

僕が個人的にオーケストラに興味をひかれるのは、ひとつはそれが非常に広い面積を必要とするからである。つまり、かなり大きな舞台一面に音源が散らばっていること自体(たとえ聴衆を取り囲んでいなくても)、僕にとってはなかなか面白い「現象」なのである。
渡辺俊哉の「Polytexture」はそういう「面積」が非常に活かされていたように思った。客席を囲むようにバンダが配置される。左右にホルンとトロンボーン、後方に打楽器(大太鼓とシンバル)とトランペット。ステージもオケ本体とは別にフルート、クラリネット、バイオリン、ビオラのソリストがつく。
洗練された繊細な響き。3度の累積のアルペジオやトリル、音色トリル、幅の拾いビブラート等の素材は、山本裕之と共通している。ある意味で今の若い世代のオーケストラ曲の一つの素材なのだろう。ただ、山本はそれらの素材をボン!と投げ出したようなところがあるのに対して、渡辺は極めて緻密にそれらを書き込んでゆく。バンダの金管も、殆どミュートを付けた状態で、ステージのオケと呼応する、というよりも響きを浸透させあってゆく。大太鼓のパルスがバンダとステージでやり取りされるところなど、ユニークである。全体に極めて繊細な響きが様々に立ち上り浸透しあうという感じで、ところどころでフォルテのトゥッティがあらわれるが、それが決してあからさまなエネルギーの高まりを感じさせないところがこの作曲家の美点であろう。
ところで、この日の指揮者はそう言う音楽の成りゆきとは全く無関係に淡々と拍を刻んでいく。渡辺の最近の作品では、単にフワフワと響きが漂うだけではなく、そうした響きを時に遮るような大きな変化が仕掛けられているという印象なのだけど、この日の演奏ではそれが良く聴こえなかったし指揮者のそぶりからも見えなかった。個々の響きは美しく響いているが、そこから踏み込んだ音楽にしてゆく作業が希薄なのではないだろうか?再演を待ちたい。

中川俊郎
のオーケストラ曲を聴くのは二曲目。1988年に、今は亡き民音現代作曲音楽祭で、「合奏協奏曲第二番」の初演を聴いた。ステージの前3分の1をうめ尽くす豪華なソリスト陣。いざ演奏が始まると、ステージ上は異様な緊張感に包まれながら激しい音響の渦になる。カオスの中からバイオリン群の超高音のユニゾンが立ち上る。ステージの後ろの方では二人の打楽器奏者がドラム缶を投げあっていて、床に落ちる度にゴロンゴロンという激しい音をたてる。舞台上の離れた位置にいる打楽器奏者たちが単純なリズムを模倣しあって、他の音を圧倒する。かと思うとソリストがシンバルをたたく玩具の人形を操作している。激しい響きが、まるで潮が引くように収まると、客席から激しいブーイングが起こったのだった。
さて、今回初演された「もの思う葦たち」は、「合奏協奏曲第2番」とはかなり異なった響きの作品だった。「合奏協奏曲第2番」よりは音符がかなり固定されているのではないかと思う。とはいえ、緻密な合奏が要求されると言うよりも、練習番号に合わせて所定の断片を演奏する、という箇所が多いようだった。「合奏協奏曲第2番」の激しさはないが、より最近の中川の作品に特徴的な、ごにょごにょ、うねうねしたような(ちょっと変態的な)触感の響き。ここではオーケストラが持っていた組織性は無い。オーケストラは無数の音楽家たちの集合であり、それらが風に吹かれてそよいでいるように見えてくる。例によってステージに作曲者が隠れていて、いきなり立ち上がったかと思うと何もせずそのまま座ったり、オケのピアニストを追い出して即興演奏を繰り広げ、指揮者に退場させられたり。中川作品独自の「ゆるさ」にオケの演奏家もリラックスして参加し、一緒に楽しんでいる風情だ。かつて「合奏協奏曲第2番」の初演時にあったのっぴきならない緊張感は、そこにはない。中川のスタイルが変化したこともあるが、彼自身が認知され、受容されるようになった、ということもあるだろう。作品の構成は非常にシンメトリカルで、冒頭セクションとほぼ同じ内容が曲尾に置かれる。おおいに楽しんだし、どこかほのぼのした味わいがあったのだけれど、逆に何が出てくるかわからないような、予想を裏切られるようなスリルは感じられなかった。もちろん、それが悪いことだとは思わない。作曲家の考えることは常に変わってゆくし、そうあるべきだから。

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