田中吉史のページ/作品ノート


Lessico famigliare

2000/vla, pf, tape/TEMPUS NOVUM XI 「越境する声」(2000年10月24日)にて初演(Vla:甲斐史子、pf:中村和枝)

 人間の声というと、何よりも私がひかれるのは、歌声や朗読、あるいは役者の語る台詞などではなく、我々が普段特に意識することなく発している話し声である。日常生活の中で我々が何気なく行う自由会話は、言いよどみや繰り返し、気ままな速度の変化や自然な役割交代に満たされており、滑らかだがしばしば唐突な話題の変化とともに、私を魅了してやまない。
 この作品の素材は、うちとけた場面で親しい友人たちの交わす自由な会話である。ここでの私の関心は、そうした絶え間ないおしゃべりの流れの中のある瞬間を、殆ど手を加えることなく切り取ってくることにあった。
 ここで用いた会話の素材は、2000年の6月、武生の音楽祭に参加した時に録音されたものだ。コンサートが終わったあと、事務局の田中浩氏が、その時のゲストだったイタリア人の音楽家たちRoberto Fabbriciani夫妻、Massimiliano Damerini夫妻ともども御自宅に招いて下さった。そこでおいしい食事をいただきながら、あれこれ四方山話をしたのだった。この作品では、その時にいちばんたくさん喋っていたイタリア人たちの声が主に用いられている。こういう日常的な会話では、ひとり一人の話し方の特徴がハッキリとあらわれる。雄弁なRoberto、早口で勢いよく喋るMassimiliano、のんびりと話すClara....これらの人たちの話し方の個性が、この作品を構成するブロックの特徴を決定している。なお、この作品の最後の部分は、この時に録音されたものではない。Roberto FabbricianiがNonoの作品についての講演をする事になっていて、そのための打ち合わせをした。その時、Robertoの奥さんのLuisellaがアイディアをまとめながら丁寧にメモを書いてくれた。その時の、一語一語吟味しながら書きつけてゆく様子が、この曲の最後の部分で使われている。
 題名は、ナタリア・ギンズブルグの同名の小説にもとづいている。この小説は、ある家族の間で交わされる会話を軸としている。Lessico famigliareとは、例えば家族などのような親しい間だけで通じるような言い回しのこと、のようだ。この題名を選んだ時、自由な会話という点以外に、この作品とギンズブルグの小説の間に特別な共通点を考えてはいなかった。ただ、今思うと、他にも思い当たる共通点もなくはない。例えば、この作品の後半のある部分では、イタリア語の変な言い回しに話題が及ぶ箇所がある。そう言う変な言い回しは、ギンズブルグの小説に時々出てくる家族内の隠語とどこか似ていなくはない。



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